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2020年06月27日

古民家の縁側でぼんやりと雨を眺めたい

雨が好きで好きでしょうがない。梅雨の時期は胸踊る日々だ。自宅マンションの窓越しに眺める。ビルの軒先で雨脚が弱まるのを待つ。駅のホームから遠くの雷雲を望む。

どれも素晴らしいが、では雨を愛でる至高のシチュエーションとは何か。考えた末に、「古民家の縁側でぼんやりと眺める」という結論にたどり着いた。

都内にうってつけの場所がある。雨予報の日を狙って赴いた。

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石原たきび

TAKIBI ISHIHARA

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1970年、岐阜県生まれ。塾講師、情報誌・書籍編集者を経てフリーランスに。お酒と焚き火をこよなく愛します。編著に『酔って記憶をなくします』(新潮社)など。

象の滑り台の下で雨を愛でていた小学生

雨音には癒し効果があるとされている。自然の音や動きが持っている強弱のリズム、すなわち「1/fのゆらぎ」が気持ちを落ち着かせるのだそうだ。これは、焚き火の炎にも通じる。

 

思い返せば、子どもの頃から雨は好きだった。今でも覚えているのは、小学生の頃に大雨が降ると一人で近所の公園に行って、象の滑り台の下でしゃがんでいたこと。ちょっと問題がありそうな行動だが、当時は娯楽のひとつだった。

 

懐かしくなったのでGoogleストリートビューで検索してみるとーー。公園は健在だったが、滑り台まではたどり着けない。このちょっと先に象の滑り台があるはずだ。

 

 

なんというか、今も昔も“降りこめられる”感覚が好きなんだと思う。そもそも、空から水が落ちてくること自体、不思議な現象ではないだろうか。

 

「こんにゃくゑんま」の謎は残る

そんなわけで、向かったのは文京区小石川にある小石川大正住宅。最寄りの都営三田線春日駅を降りると首尾よく小雨が降っていた。向かう途中で、不思議な石柱を見つけた。「こんにゃくゑんま」?

 

 

ここは寛永元年に創建された浄土宗の寺院、源覚寺。寺院のシンボルでもある「こんにゃく閻魔像」は、関東大震災や第2次世界大戦などの災害も免れたという。しかし、こんにゃくの謎は残る。

 

眼病が治ったお婆ちゃんがこんにゃくを供えた

さて、到着。黒い塀が特徴的な2階建ての木造家屋だ。路地に残る大正初期の建築で、現在は撮影スタジオやレンタルスペースとして貸し出している。中はどうなっているのだろうか。

 

 

根木隆彰さん(63歳)が満面の笑みで出迎えてくれた。彼はこの家で生まれ育ち、誰も住まなくなった今も地道に管理を続けている。挨拶も早々に「こんにゃく」について聞いてみた。

 

 

「眼病で孫の顔が見えなくなったお婆ちゃんが、源覚寺の閻魔様に日参して祈願したところ、治ったという伝説がありましてね。お婆ちゃんが感謝の印として大好物のこんにゃくを供え続けたことから『こんにゃく閻魔』と呼ばれるようになったようです」

 

閻魔様は自分の片目をお婆ちゃんにあげることによって治したというから泣ける。閻魔様、こんにゃくが好きだといいな。

 

焼夷弾が“たまたま”空だったため残った一角

玄関には昔の路地の写真が飾ってあった。昭和30年代に根木さんのお父さんが撮った子どもたちの通学風景だ。

 

 

当時は奥にお屋敷や長屋があったという。すぐ近くの東京大学で教鞭を執っていた夏目漱石も通ったらしい。この一角は太平洋戦争時に降ってきた焼夷弾が“たまたま”空だったため残った。他のエリアは焼け野原になったせいで、当時は2階から皇居まで見渡せたそうだ。

 

 

現在、周囲には高層マンションが建ち並んでいる。

 

大正時代のままの基礎、「置石」が残る

根木さんが言う。

 

「ちょっと面白いものをお見せしましょう。この建物の基礎は『置石』と呼ばれる、今となっては珍しい工法なんです」

 

 

庭に出て床下を除くとーー。

 

 

小さな石の上に柱が乗っていた。石は地面の上に置いてあるだけ。そこに家を支える柱がつっかい棒のように乗っている。釘や接着剤は一切使っておらず、この部分は大正初期のままだ。

 

「関東大震災も東日本大震災も奇跡的に被害はありませんでした。たまたま、揺れの方向が幸いして崩れなかったみたいですね。とはいえ、長い年月を経て屋内の柱や階段は微妙に傾いています」

 

階段も一番下の右側が3cmぐらい低くなった。

 

 

さすがに危険を感じたため、2015年に各所を改修して一部の柱も新しいものと交換したそうだ。このタイミングでNPOのイベントに貸し出したことをきっかけに、撮影スポットとしての魅力が広まった。とはいえ、大勢が家に上がると傾きも激しくなるため、現在もレンタルの際は利用人数を制限している。

 

 

夏は暑く、冬は寒いため、2018年にはエアコンも導入した。

 

雨降る庭には山茶花、やつで、椿など

雨脚が強くなった。「古民家の縁側でぼんやりと眺める」という夢を実現する時が来たようだ。ここからは実際の音を聴きながら読んでほしい。

 

※雨音を聴く

 

 

 

完ぺきなシチュエーション。庭には山茶花、やつで、椿などの木が植えられている。これらは大正時代から手を入れていない“原生林”だ。

 

 

「天狗の羽団扇」とも呼ばれるやつでの大きな葉に雨粒が溜まる。やつでは冬の寒い時期に円錐状に白い花を咲かせる。

 

 

本格的にリラックスしてきた。雨音以外に聞こえるのはカラスの鳴き声ぐらい。すぐそばの白山通りを走る車の音はさほど気にならない。

 

 

これだよ、求めていたのは。

 

雨の風情を噛みしめつつ俳句を詠みたい

雨音を聴きながらただぼんやりするだけでは芸がない。せっかくの風情ある古民家。感じたままに俳句を詠もうと思う。

 

 

2階の窓べりで俳句の神様が降りてくるのを待つ。ちなみに、僕は20歳ぐらいの頃から俳句に傾倒し、一時期は本気で俳人になりたいと思っていた。その夢は叶わなかったが、575のリズムはいまだに染み付いている。

 

こちらの3冊が今回のお供。

 

 

422語を収録した『雨の名前』、雨にまつわる言葉を集めた『雨のことば辞典』、そして俳句作りに欠かせない『俳諧歳時記 夏』。歳時記はずいぶん昔に買ったものなので年季が入っている。

 

 

『雨の名前』には「卯の花腐し」「梅時雨」など、この時期の雨の名称が解説されている。

 

 

美しい写真が付いているのが高ポイント。

 

裏庭に花をつけない南天、神様が降りてきた

しかし、俳句の神様はなかなか降りてこない。その時だ。床の間に飾られた南天に関する根木さんの話を思い出した。

 

「夏は切り花が少ないから、妻が裏庭の南天の葉っぱを切って活けているんです」

 

 

南天トークが盛り上がり、能楽好きのお父さんのコレクションだという掛け軸も出してくれた。

 

 

「この南天は2015年の改修時に庭師さんが植えてくれたものです。最初の年は花をつけましたが、日が当たらないせいか、その後は咲きませんね」

 

 

冬に赤い実は成るが鳥に食べられるという。表の庭にも水鉢に入れられた南天の葉。

 

 

これだ。俳句の神様が降りてきた。

 

 

筆ペンを取り出しーー、

 

 

一気に書き上げる。

 

裏庭

このような俳句ができた。

 

 

「花をつけぬ南天濡れて梅雨の庭」

 

季語はもちろん「梅雨」で季節は夏。「南天の花」は夏の季語だが、今回は当てはまらない。裏庭で雨に打たれる南天。花をつけない悲しさは、そのみずみずしさの前に霧消する。

 

関東地方の梅雨明けは7月中旬。今しばらく雨を愛でたいと思います。