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2021年03月30日

シンガー・和田アキ子の魅力に打ちのめされた夜(前編)

ひとりの音楽ビギナーが、シンガー・和田アキ子さんの魅力に開眼するまでの記録です。(以下、敬称略)

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榎並紀行

NORIYUKI ENAMI

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1980年生まれ。ライター、編集者。編集プロダクション「やじろべえ」代表。アメリカで生まれたりしましたが英語は話せません。ぽっちゃりしています。

「和田アキ子」は世間からどう見られているのだろうか。

 

芸能界に物申す人、日曜の昼に怒ってる人、キレる大御所ドッキリの人……。世間的に表立っているのは、いわゆるゴッドねえちゃんや芸能界のドン的なキャラクターではないかと思う。

 

好き・嫌いが分かれる人かもしれない。後者は例えば、和田の大物感を嫌う。「なんか偉そう」と言う。かつてのワイドショーでは和田アキ子と美川憲一が芸能界のご意見番的ポジションに君臨していた(※本人はご意見番キャラを嫌がっていたという)。やらかしたタレントに毒を浴びせるテレビ的演出のために、レポーターは両氏のキャッチーなぶった切りコメントをとりにいく。なんか偉そうなイメージは和田や美川が斬り手として有能であるがゆえ、また、期待される役割を常に全うするプロであるがゆえ根付いてしまったものともいえる。

 

実際のところ大物には違いないが、何をもって彼女がドン的なポジションにおさまっているのか、いまいちピンときていない人は少なくないと思う。ストレートに言えば「和田アキ子って、何がすごいの?」ということだろう。なぜドンなのかはさておき「何がすごいのか?」の問いに対しては、明確な答えがある。

 

和田アキ子はシンガーとして、とんでもなく素晴らしいのである。

 

もっとも、歌手としての知名度は高い。長く紅白の常連であり、今も時々フジテレビのミュージックフェアなどに出ている。だが、どれだけ傑出した歌手であるかについて、これといった音楽的教養のない一般層にはあまり認識されていないのではないか。ドンとしてのタレント性が立ちすぎているがゆえに、シンガーの一面がスポイルされてしまっているところもあるように感じる。和田アキ子を嫌いな人はつまり、シンガーとしての和田アキ子の魅力を知らない人といえるかもしれない。

 

あらためて言いたい。

シンガー・和田アキ子はすごい。

 

昨年末、初めて和田アキ子のステージを生で見て、大げさではなく魂がふるえた。

 

***

 

 

2020年12月8日。東京都港区南青山のライブレストラン「Blue Note TOKYO」は熱気と高揚、少しの緊張感に包まれていた。この日行われるのは和田アキ子のプレミアム・ショウ。4月の緊急事態宣言を受けて延期になったライブの振替公演だ。前売り券は即完売。「待ちに待った」というファンの喜びや期待が会場全体に溢れていた。

 

公演開始時刻は19時半。18時に到着した私は、やることがなく場内をうろつく。入口にはカンニング竹山から花輪が届けられていた。なるほど、こういうところも彼があれだけテレビに出ている理由の一つなのだろう。和田アキ子の歌声とともに竹山隆範の気配りにも心打たれた夜だった。同時に、勝俣の花がないことに少し寂しさを感じた。

 

ひとしきり見学し席へ戻る。往年のファンは落ち着いたもので、ブルーノートの上品な食事を楽しみながら少しずつ静かに気持ちを昂らせているように見えた。開演まであと1時間。私は1杯1550円のビールを大事にチビチビ飲んで心を落ち着かせながら、和田アキ子を好きになるまでの日々を思い返していた。

 

***

 

きっかけは

 

「芸能人のディナーショーを見てみたい」

 

だった。正直、谷村新司や田原俊彦でもよかった。「タレント、ディナーショー」で検索したところ和田アキ子の東京公演が1か月後にある、というだけの話だった。最初は和田に対し、それくらいの熱量だったのだ。

 

その時点で全席ソールドアウトだったが、かえって火が点いた。毎日ブルーノートのウェブサイトを開き、1時間ごとにリロードしてキャンセル枠を狙い続けた。結果、運よく「サイドエリアR」という、アリーナでもセンターでもない初心者にはちょうどいい席がとれた。

 

とれたはいいが、和田アキ子か。ちゃんと聴いたことないな。さっそくベストアルバムをダウンロードし、通勤のBGMとして聴き込んだ。

 

そして、私はアッコに夢中になった。

 

ひとたび好感を持つと、その人をまるごと肯定したくなるものだ。私は和田アキ子の全てを好意的に捉えるようになった。和田がいつもあんなに怒っている(ように見える)のも何か理由があってのことかもしれない。その心を知るべく、私はまず彼女の著作を買い集めた。それらを読み漁るうち、知られざる内面も見えてきた。いわゆるゴッドねえちゃんとしての和田アキ子、いかにも和田アキ子的な和田アキ子とは違う、ドンではない素顔のアッコ。つまりは飯塚現子(本名)。素の現子にもやはり豪胆で頑固な和田アキ子的一面は垣間見えるのだが、一方で謙虚であり、コンプレックスや孤独を抱え、人一倍“気にしい”であったりもする。

 

和田は2008年に上梓した『おとなの叱り方』という本のなかで、自身のキャラクターについてこう綴っている。

 

 

引用『おとなの叱り方』(PHP研究所)より

世間では“芸能界のドン”とか“女帝”などと呼ばれているらしいです。大物芸能人から若手アイドル、世相にまで、私が何かもの申せば、新聞や芸能誌の見出しは「アッコ、吠える」「殴ったろか!」……。

いえいえ、吠えも殴りもいたしません。ただ、私は“いい人”なんかじゃない。言いたいことは言うつもり。礼儀、マナー、社会の約束事を守れないヤツ、人としての品性、誠実さに欠けるヤツ。

「お前、それは違うだろッ!」

と、そのひと言が言えるおとなでありたいです。

叱って、怖がられて、煙たがられて……。イヤなババァでいいんです。そして、そのまま八十歳になって、真っ赤なマニュキュアとくわえタバコでブルースを歌っていられれば、それでいい。

 

***

 

私は若いころから、自分の体が大きいことや男と間違えられることに、ものすごいコンプレックスを抱いていました。(中略)ゴッドねえちゃんでは、そんな自分のなかのいちばん嫌いな部分を“ウリ”にしなきゃいけなかったからつらかった。だから一人になったとき、よく泣きました。「これは、ほんとうの私じゃない」という思いがいつもあったんです。

いまだってそうです。真実の私ではなく、虚像の“和田アキ子”のイメージばかりが先行する。最近はお酒も二週間に一度飲むか飲まないか。しかも十二時前には必ず家に帰っているのに、「朝まで帰してもらえなかった」なんてしょっちゅう言われる。前にも書きましたが、ホント、もうそんな体力ないんですよ。

 

***

 

私にとって自立とは、本名から“和田アキ子”になったその瞬間。つまり、“和田アキ子”を演じようと決めたそのときからでした。(中略)どんなつらいことがあっても、自分の立場を全うしようと決めた以上、最後までその責任を果たさなければなりません。

だけど、それってけっこう孤独なんです。私の場合でいえば、これまで演じきってきた“和田アキ子”の名前が自分で思ったより大きくなりすぎて、中途半端に弱音やグチを吐くこともできなくなりました。

 

どうだろうか。和田はハッキリと「和田アキ子を演じている」と書いている。ビッグネームになった和田アキ子に戸惑い、操縦に手間取りながらも確固たる信念であのキャラクターを全うしてきたのだ。仕事へ向かう現子がアキ子になるとき、帰りのタクシーでアキ子が現子に戻るとき。私はそれを思うと、なんだか泣けてしまう。

 

和田アキ子はいつまで和田アキ子で居続けられるのだろうか。70歳を超えて和田アキ子を保ち続ける肉体的、精神的疲労は常人には計り知れない。もう、アッコにおまかせられないよ……そんな日がいつかやってくるのかもしれない。しかし少なくとも私は幸運だ。和田が現役バリバリの和田アキ子でいてくれるうちに好きになれた。今はただ、この時間を楽しみたい。そして、80歳になったアッコのリサイタルを最前列で見たい。そう思った。

 

***

 

ベストアルバムに話を戻そう。初見の時点でも知っている曲はかなりあった。『笑って許して』『あの鐘を鳴らすのはあなた』『古い日記』『だってしょうがないじゃない』『Everybody Shake』『タイガー&ドラゴン』の6曲だ。どれも名曲であり、シンガー・和田アキ子の魅力が詰まっている。天性の声量と、それを生かした伸びやかでパワフルなビブラート。時にハスキーボイスでシャウトし、時にドスをきかせる。代表曲をいくつか聴けば和田がシンガーとしていかに非凡で、いかに多くの武器を備えているかが分かるだろう。また、同じ曲の中でも、例えば『あの鐘を鳴らすのはあなた』などはパートごとにいくつもの声色を使い分けていることに気づく。恵まれた性能に加え、技巧もすさまじい。

 

『Everybody Shake』は「悩み無用!」のCMに使われた曲といえば分かる人もいるだろう。発毛の広告に似つかわしくないダンサブルなナンバー。その唐突感に当時は笑ったが、曲単体としてちゃんと聴くとカッコいい。『タイガー&ドラゴン』はクレイジーケンバンドの楽曲として有名だが、ボーカルの横山剣が「和田アキ子さんに歌ってほしい」と作曲したものだという。アッコVer.のドスのきいた「俺の話を聞け!」には「はい!聞きます!」と直立不動になってしまう迫力がある。

 

和田の凄さはまだまだある。例えば、曲の歌詞によってまるで別人になることだ。たとえば『コーラス・ガール』という曲では、ステージを降りる戦友を複雑な心境で見送ったかと思えば、『ルンバでブンブン』ではいきなり豪胆でパワフルな母ちゃんになる。『旅立ちのうた』は友との別れを歌った曲だが、私には人生の門出を優しく送り出してくれる恩師が浮かんだ。歌詞に合わせて人物を演じ分ける変幻自在の表現力は、歌手というより女優の域である。

 

ちなみにコーラス・ガールの「旅先でいつか手紙を書くけど 幸せだったら返事はいらない」という歌詞が私はたまらなく好きだ。

 

***

 

気づけば開演時刻まで残り1分を切っていた。バンドメンバーはすでにスタンバイ済みだ。青いライトが赤に変わる。主役不在のまま前奏が始まる。「とても悲しいわ」の歌い出しとともに、ゴールドのジャケットに身を包んだ和田アキ子が現れた。1曲目は最初のヒット曲『どしゃ降りの雨の中で』。

 

不安はあった。偉大なシンガーとはいえ70歳。声は出るのだろうか? これまで聴き込んできた音源と比べ物足りなさを感じないだろうか? だが、そんな疑念は開始数秒で粉砕された。「小僧、あたしをなめんなよ!」とばかりに、生バンドの重厚な音を易々と超えてくるド迫力のボーカル。本当に素晴らしかった。コロナで気持ちを十分に解放できないフラストレーションをアッコが全て引き受け、我々に代わってシャウトしてくれるような痛快さ、頼もしさがあった。

 

1曲目を歌い終えると、アッコはゆっくりと客席を見渡し静かに口を開いた。

 

「マスクだらけで、なんだかインフルエンザの待合室みたいだね」

 

先制のアッコ節に沸く会場。らしいブラックジョークだが、我々を疲弊させてきた直接の原因である「コロナ」という文言を使わないところに「現子」としての配慮とやさしさが垣間見える。

 

そして、みんなのこの一年を優しくいたわるように、こう言った。

 

「最後に和田アキ子を見てよかったという1年にしましょうね」

 

この一言で、しんどい思い出しかなかった2020年が報われた気がした。

和田アキ子はやっぱり最高だ——。

 

(後編に続く)